初飛行 : 1974年12月23日
運用開始 : 1986年10月1日
ロックウェル社が開発した戦略爆撃機で
超音速で敵領空内に低空侵入する長距離戦略核爆撃機として開発された
B-52の後継機として戦略爆撃機である
XB-70が開発されていたが開発が挫折し
「超低空飛行によって敵地奥深くまで侵攻し、核攻撃を行う必要がある」との戦略思想に基づき1970年より開発が開始された
さらにソ連の先制核攻撃によって滑走路が一部破壊されても残った滑走路で離陸できるようにSTOL性能も要求され
これらを満たすために可変後退翼が採用され、戦略爆撃機として開発された
しかし、現在は緊急近接航空支援という以前とはまったく別の任務を担っている
最高速度は、空気取り入れ口が可変式となっているA型でマッハ2.0
固定式となったB型ではマッハ1.25となっており
ステルス性を持つためレーダーによる発見率は低いといわれている
1977年6月にカーター政権下の軍縮によって開発・導入が中止され、完成した4機を用いて試験飛行だけが続けられた
しかし、1981年8月にレーガン政権による「強いアメリカ」政策によって計画が復活したが
この時には既に大陸間弾道ミサイルなどの大量配備により
大型長距離爆撃機による核爆弾攻撃という戦術は実情にそぐわなくなっており要求仕様が大きく変更され
特徴であった搭乗員室ごとの分離脱出システムの廃止
エンジン用空気取り入れ口を可変型から固定型の変更による最高速度の低下を行いつつもB-1Bとして生産が開始された
最高速度は低下したものの搭載兵器は多彩で
超低空侵攻による核/通常攻撃、通常の戦略爆撃、巡航ミサイルプラットホームが搭載可能で
地形追随レーダーや、赤外線監視装置、ドップラー・レーダー、ECMシステム等充実した電子機器を搭載している
なお、第二次戦略兵器削減条約の対象となったため、現在配備されている機体はすべて核兵器の搭載を行っていない
エンジントラブルや搭載しているCPUとECMのミスマッチングにより開発は遅延し、初の実戦投入は1998年の砂漠の狐作戦となった
攻撃性に優れているだけでなく自衛手段として
防御システム操作員によって操作される防御電子機器システム(DAS)を搭載している
DASは敵防御システムが発している電子信号を探知・識別し、指向性の高い大出力の電子信号を発して敵の信号を妨害する
電子妨害に加え、DASはチャフやフレアといった受動的対抗手段もコントロールしている
フレアは胴体上面の左右にある8つの収納庫に格納されている